You’re always writing.
本の原稿校閲をお願いしたネイティブの方に言われました。
最終原稿の英文チェックをネイティブの方にお願いすることがあります。
執筆を終えて脱稿したあと、自分と編集者以外の方、理想は英語ネイティブ1名、日本語ネイティブ1名、に「他人の目」を通していただきたいと考えるためです。
著者の独りよがりになったり、誤ったことを書いてしまったりしないために。
未発表の原稿を人に見ていただくのは結構緊張しますし、勇気がいるのですが、発表してから悪いと知るよりは、まだいい。
チェック結果が戻りました。
As always, incredible job you have done! I am amazed at your ability to write clear, concise and correct English!
ひとまず、安堵しました。3Cまで引用したお優しいコメントに感謝。
さて、そんな風に私の生活の一部となった執筆活動。
これが不思議なのですが、1.「書かなければならない」とミッションを感じて行う本と、2.「書きたい」と素直に感じて開始する本の二種があります。
前者はいつも、苦しい、苦しい執筆活動となります。後者はどんどんノってきて、執筆が止まらなくなります。
いずれの書籍も自らテーマを定めて企画を提出して行うため、誰かに書かされているという書籍はないのですが、それでも、ひとたび執筆を開始すると、前者と後者が自分の中で分類されます。
先日提出したのは前者。苦しみながら、執筆しました。こんな本があったら便利だと思う、書かなければ、という観点から、執筆を行いました。
そして今書いている本は、後者。こちらも苦労はするものの、「ノってきた!」と感じたら、どんどん書ける類の本です。
「会話もメールも英語は3語で伝わります(白い本)」は後者。アウトラインが決まった後はノリノリで、はじめ出張先のホテルである程度を一気に書き上げ、その後は毎週通っていた土曜日の通学電車の中で(大学院で知財を少し勉強していたとき)どんどん執筆しました。「電車の中で書いた」とか言ってしまうと軽い感じになってしまうのかもしれませんが、毎週の電車の中とお昼休み、その時間だけは仕事やプライベートから離れて「自分が自由に書いて良い時間」と決めて集中して書きました。
その数年後の「英語は3語で伝わります【どんどん話せる・・・】(黄色い本)」は苦しい類のほう、前者でした。
さて、今書いている本は、どちらかな?、と思いながら2月頃より少しずつ書きはじめていました(コロナ禍の昨年は緊急事態を避けながらお打ち合わせに行ったり、編集者とのオンライン打ち合わせを重ねていました)、アウトラインが決まるまでは、結構模索しながら何度も書き直しました。アウトラインが決まった今、ノリノリのパターンの可能性があります。翻訳業務の合間を縫ってどんどん仕上げています。楽しい。
この楽しい本が終わったら、また苦しい類の本に戻る予定をしています。そちらははじめる前から本当に苦しそう。しかし必ず書きたいと願っている内容なのでexcitingに思っています。
Yeah, I am always writing. I do enjoy writing.
執筆という、もう1つの自分の仕事に出会えたことは幸運でした。
お手に取ってくださる方のお役に立てる内容とできるよう、さて、もうひとがんばり。