本日の学生の質問。
I could pass the exam. 試験に受かったの?受かってないの?
couldには仮定法の意味があるから、「できた」か「できていない」かが分からない。
このことを、理解しているんです。
(私:よく勉強していますね~)
しかし、先生のTEDトークで、I couldn’t speak English.って言ってましたよね。
あのcouldn’tは、「できなかった」のか「できなかったわけではない」の両方を表してしまう、ということにはならないのでしょうか。
(私:5年前のTEDxですか。あー、見ましたか)
中山解説:
couldには仮定法「できるはずなのに」や「できたはずなのに」の解釈の余地があるのに、なぜcouldn’tにはそんなニュアンスがほぼ残らないのか。
それは、人間が使う「文脈」の問題である、と考えています。
「できたはずなのに」
「できるはずなのに(もう少し時間があれば・もう少し頑張れば・私にだって)」
これらは、人間生活において、よく生じる状況なのでしょう。
「できないはずなのに」
「できなかったはずなのに(~であれば)」
一方こちらのほうは、そもそも、使う状況が少ない。
単に「できなかった」= I couldn’t do it.のほうは、使う状況が遥かに多い。
ですからI couldn’t speak English.と言っても、「私は英語が話せないかもしれない」や「話せなかったかもしれない」という意味にはならず、「話せなかった」という単純過去の意味になります。
couldn’tが仮定法の意味になるのは、とても限られた、例えば次の文脈を思いつきます。
How are you today? (調子はどう?)
Couldn’t be better. (最高だね=これより良くなることなんてないくらいだよ。)
couldn’tを仮定法の意味で使う文脈は、これくらいかな、と思います。
そんなことを、学生へ話していたら、学生は「あー、確かに」と納得した様子でした。
英語は言葉ですから、人が便利に作っている。
人が使う状況を少し考えてみると、色々なことが見えてきます。
英語は「勉強すべき教科」ととらえて頭が固くなってしまうと、行き詰まってしまうことがあります。
すべての表現が同じように説明できるわけではない。それぞれの単語が異なる意味を表すので、扱いも変わるのです。
似たような話をもう一つ。
「できない」を表すcannotとcan not。
can notは強意、と辞書にあります。
cannot は普通の表現です。
人にが「それはできない!」と言わなければいけない状況は多くあるでしょうから、cannotという自然なトーンの表現と、can notでnotを強調する表現の二種に分かれたのでしょう。
I cannot take this job.(この仕事、無理です)
I can not take this job.(この仕事、私には絶対無理です)
一方、mayの場合にnotを強調する表現は特に無いので、maynot と may notの2つの表現は必要がない。ですからmaynotは存在しないのです。
ところがmaybeは存在しています。「may be(~かもね)」という文脈が人の生活において多くあるためです。
canbe(なりえるだろうね)という表現は無いのに。
そんなことを考えるとき、言葉を理解することは楽しいな、と感じます。
翻訳文の英語を扱うときも、同様のことをいつも考えています。
なぜこの単語はOKなのに、この単語はダメと感じるのか。自分が持つ違和感はどこからくるのか、それらを自分なりに分析しながら、表現を選んでいます。
気がつくと固くなる頭を意識的に柔らかくして、物事の本質を捉えること。
難しいけれど、仕事をする上で大切と考えています。