ユー・イングリッシュ代表取締役 中山 裕木子のブログ


I want you to find the beauty of English and love English.

  日常 

私の仕事への向き合い方

これが出来たら、素晴らしい。

これは今の世の中には、ないだろう。もしあったら、役に立つだろう。

 

と思うアイディアがあるとします。

 

しかし、自分にはこれを行うだけの、包括的な知識が無い。

 

これを行うには、A, B, C, D, Eが必要。自分が持っているのは、AとEのみ。では、BCDはどうする?

といった場合があります。

 

そんなとき、通常はおそらく、自分はAとEを担当して、残りのBCDは別の人に協力を求めるのでしょう。

チーム、という考えです。

 

しかし、BCDを別の人にお願いすると、A-Eの一貫性が保てない。

また、BCDが自分の意図したものになるとは、限らない。

 

そんなとき、私は考えます。

 

弱い心がささやきます。

自分はBCDを有していないのだから、このプロジェクトには、不適では?

身を引きなさい、あなたには、出来ないのだから・・・。

 

適任じゃないよ。BCDを持っている人が、他にいるんだから・・・。

 

 

やめてしまう、身を引く、というのは、実は最も簡単な選択肢。

最も簡単で、楽な選択肢なんです。

 

すると次に、強い自分がささやきます。

 

よくよく考えてみて、BCDを持ってる人には、AとEが無いんだよ。それなら、BCDを持っている人とあなたは一緒じゃない。あなたにはAとEがあって、BCDが無いんだから。

 

そこで、冷静な自分が、考えます。

 

果たしてA-Eまでを持っている適任者は、いるのだろうか・・・?

 

冷静な自分が出した判断は、AからEまですべてを持っている人は、いない、かもしれない。

または、もしいるとしても、別のプロジェクトに忙しくて、これに時間を割いて取り組もうという物好きではないだろう。

 

 

そのようなわけで、flawed、つまり欠陥、欠損だらけの自分ですが、BCDの部分は、「ヤル気」だけで、補わせていただくことにします。

 

そう、役に立つもの・ことができるかもしれない、という意欲にて、その部分、なんとか情報収集して、補わせていただきます。

 

今回は、あるプロジェクトに当てはめて、このようなことを考えていたのですが、私の仕事の選択は、いつもこのような過程を経ていることに気付きました。

(簡単な例では、技術翻訳者は理系であるべきか?文系であるべきか?の論争にも当てはまりそうです。)

 

弱い自分が「やめておけば?」とささやきます。しかし、強い自分と冷静な自分が判断をして、自分を前に押し出します。

 

なぜか仕事というのは、いつも自分の能力よりも少し難しいものなのです。

「完全に自分にできる仕事」であれば、きっと平易で楽なのだろうな、と思うのですが、難しい仕事を経て、自分を押し上げていくしかないのが現実です。

 

仕事=お金をいただくこと、とは、きっとそういうことなのだと思います。

自分が持っているものだけをただ簡単に手渡していくだけなら、お金をいただくだけの価値が得られない。残念ですけれど。

 

さて、そこにServe!というビジネスの基本があるのでしょう。

 

We cannot serve ourselves. (自分にserveするような仕事には、価値がない)

We must serve others by maximizing what we have and developing and offering even more than what we have.(自分の持てるもの、望ましくは自分が持てる以上のものを、他の人にとって価値があるものへと変えて提供する)

 

きっと、それがビジネスの基本なのでしょう。

 

 

頭の整理ができたところで、さて、頑張ります。

 

ブログを読んでくださり、いつも誠にありがとうございます。