仕事の中で生まれる様々なアイディア、それをどのように実行に移していくか。
私の場合、たいへん横着ではあるのですが、思いついたらとりあえずやってみる。特に、「~が終わってから」や「~の時期が来てから」ではなく、思いついたその日に、少なくとも、「種をまく」ことをします。
あらゆる「思いつき」は、それほどバラバラしたものではなく、一つの大きなテーマにすべてが関連していて、一つのゴールに、向かっていますので、その「種まき」にかかる時間が、他の仕事の大きな邪魔をする、ということは、ありません。
そして、それが失敗したとしても、別に何かを失うことはなく、ただ単にまた一からやりなおすだけ、といった、イメージです。
「失敗」に関しては、ある方の言葉が、最近、参考になりました。
「成功すれば、ヒーローになれる。
失敗したら、( )になれる。」
下の括弧に入るのは何か。
日本人的感覚ですと、もしかすると「敗者」はイメージが悪く、一度失敗したら、もう二度と日の目を見られないような気がするのかもしれません。
さて、括弧内の言葉。
「失敗したら、チャレンジャーになれる。」
そんなわけで、私自身は、何か新しいことを始めるとき、失敗が怖い、ということは全く考えません。もちろん、お客様への対応や、お客様あっての仕事の場合、失敗は、迷惑をかけて損失を出しますので、いけませんが、ここで言っているのは、「他の人に迷惑をかけずに、自ら新しいことを始める」場合の、成功や失敗のお話です。(なお、お客様あって、の場合は、とにかくご要望を満たせるよう、最大限の努力をします。)
さて、私の「種まき」イメージは、次の下の段、「パイプライン処理」のイメージ。
(パイプライン処理とは、コンピュータ等において、処理要素を直列に連結し、ある要素の出力が次の要素の入力となるようにして、並行(必ずしも並列とは限らない)に処理させるという利用技術である。Wiki)
ちなみに、特許翻訳を初めて2件目くらいに英訳したのが上のような「パイプライン処理」でしたけれど、その当時、「1つめのジョブをパイプラインに投入する」といった日本語があり、どうしても「投入する」が訳せなくて、困っていました。
今思えば、日本語に縛られていたのでしょう。
さてさて、このように、仕事をするときにいつも頭になんとなく描くのが、「パイプライン処理」のイメージ。
1つのアイディアに対してアクションをおこし、パイプライン1に「投入」。
そのアクションがこちらに働きかけてくるまでは、結構、時間がかかるのです。それも、1日や2日ではなく、短気な私には待てないくらい、例えば1ヵ月や、数ヶ月、時には1年、など。
次のアイディア、や次の仕事が出てくれば、それもとにかく、次のパイプラインに投入。
そういったパラレル処理をしておけば、自動的に、前に投入しておいたパイプラインの仕事ができあがってきたり、その仕事の答えが実際に出て、そして、自動的に、自分はそれに取り組むことになり、自動的に、仕事が進んでいきます。
対して、上の図の「ノンパイプライン」にあるように、一つのアイディアが終わってから、次のアイディア、というように進む方法には、私にとっては、次の欠点があるように思っています。
ノンパイプラインの欠点:
一つのアイディアが実を結ぶまでに時間がかかるため、待っている時間が、苦しい。(すぐに応答が無く、長く待たされることが多いため)
その苦しさゆえに、または逆に、すぐに応答が来て、仕事を開始しないといけなくなった時に、自分に可能か、時間が割けるか、などを考えると、なかなか、一つのアイディアを実行することに踏み出せず、自分で、ブレーキがかかってしまいそう。
逆に、パイプライン方式のアイディア実現方法(勝手にイメージだけで当てはめて、名付けています)では、「今すぐ実質的なことをしないといけないわけではない」「とりあえず、アクションを起こしておけば、わき出たアイディアを忘れなくて済むし、一歩足を踏み出しておけば、心が落ち着く」という安心感から、本当に気軽に、アクションを起こすことができます。
私はちょっと横着すぎるところがあるのですけれど、そんな方式で、いつも仕事アイディアを、実現に向けて、気軽に(?)、実行しているわけです。
昨日夜中も、一つアイディアを、実行投入、しておきました(具体的には、一つ、企画書を出しました)。そのアイディアに対する応答が来るまでは、自分は他のことに、邁進できるわけです。そしてもしそのアイディアが実を結べば、その応答が来たら、自分は、即座にそれに向かって、邁進するわけです。
そんなパラレル仕事が、いつも私には、いくつか、平行して進行しています。失敗もある、成功もある、その中でいくつかでも、自分の思うことが実現すれば良いと思っています。
そしてそれらがつながり、一つのまとまった仕事が成し遂げられるといいな、と思います。