会社を設立してから、「人」と関わる機会が増えました。
私自身は「一人が好き」で始めた翻訳という仕事でしたが、いつのまにか、自分は「一人」ではなく、本当に色々な人に支えられながら、ここまで過ごしてきたことに、気づいています。
20代、30代前半、一人で必死で走ってきた、という感覚から、今は、必死で走ってきたら、まわりには「手」を差し伸べてくれる人が何人もいたり、また「人」でなくても、一人でもがいていたら、「手」を差し伸べてくれる不思議な大きな力があった、というような感覚に、だんだん、変わりました。
手を差し伸べてくださる方々、それから、助けてくれる不思議な大きな力にも、心より、感謝をしています。
そのようなわけで、「知人も友人もいない」、という孤独だった過去の自分は、(今も心は孤独であることには変わりないのですが)、色々な人と接する機会に、恵まれるようになりました。
「人」と接する中、気づくことが、あります。
伸びていく人は、「まっすぐである」、ということです。
「まっすぐ」
つまり、目的や目標に向かって、「まっすぐ」、進んでいるのです。
そこには、いつでも、素直に「受け入れる心」があります。
目の前に来ること、何を頼んでも、迷わない、断らない、のです。
「はい、やります。」、と即決。
「はい、やってみます。」
そこには、「出来ないかもしれない」という姿は見えず、「努力したら出来る」、という、前向きな、姿勢があります。
「誰でもはじめから出来る人なんていない」という事実を認めることは、自分の「出来ない」部分を素直に認め、それを克服するために「努力宣言」をすることでもあるのです。
「はい、やります。」「はい、やってみます。」それは、「努力宣言」。
逆に、「私には出来ない」という答えを選択することは、一見、謙虚に見えて、実は、そうではないのかもしれないと、最近、気づきつつあります。
つまり、「自分に出来ること」と「出来ないこと」をはっきりと区別している、つまり「自分にはこれが出来る」という認識が強いからこそ、「それは出来ません」という選択をすることに、なるのかもしれません。
(このことは、実は自分にも当てはまり、先日「出来ないんです」と答えたら、「出来るでしょう?」とニヤニヤしながらおっしゃった、お客さまがいました。そのとき、自分は本当に「出来ない」と思っていたのですが、しかし考えてみると、「出来ない」のではなく「あまりしたくない」、と無意識に考えていたのかもしれません。お客様はすべて、お見通しでした。傲慢な自分に、ハッとしました。)
ですから、「私には出来ない」という選択は、「やれば出来るのは分かっているけれど、大変そう、時間がかかりそう、割に合わなさそう」、という類のストップがかかっているのかもしれない、と、少々厳しいですけれど、そんな風に、考えるに至りました。
そう、そんな風に結論づけるほど、「はい!やってみます!」という、まぶしく、そしてまっすぐな人たちに、最近、少しずつではありますが、巡り会うことができているのです。
とても、ありがたいことです。
そして仕事について、思っていること。
自分にぴったり合う天職にたまたま巡り合えるなど、非常に、少ない可能性だと思うのです。
そのことが到来するのを待つよりも、今目の前にあること、それを愛し、力を注ぐ、そうすれば、徐々に目の前のことが、自分の天職へと、変わっていくのではないかな、と思っています。
「はい、やります。」
「はい!やってみます!」
そんな心を持ち続け、進化し続けたいと考える、まっすぐな心の方々に感銘を受けながら、私も再び、襟を正しました。
何歳になっても、またキャリアを重ねても、同じ。
「はい。やってみます。」
そんな「やわらか」で「まっすぐ」な心を私も思い出し、私も、頼んでくださること、自分の持てる何かが他の人の役に立つことであるのであれば、なんでも、やってみようと思います。